霊媒師のおっさんと揉め、奇妙なことが起こったのですが。相手に大きな影響を与え、かけられた本人しか分からない点が、催眠術にかけられているのと近いような気がします。
催眠術がかかっているかどうかを確認する際、定番なのが、辛さを甘く感じるように暗示をかけ、大量のワサビを口に入れるというものです。催眠術にかかっていなければ、ワサビの辛さに耐えられないため、見た目で分かります。
私が体験したものも、母が騒いでいた幻聴のようなものは、私には聞こえませんでした。恐らく、私が壁から聞こえていたものも、近くに誰かがいても、聞こえていなかったんじゃないかと思うんです。
催眠術の場合、かけられる人の状態にもよるのですが、催眠術にかかりたいと思う人はかかりやすく、催眠術に対して、強い抵抗がある人はかかりません。また、催眠術は、かけられた状態が解かれなかったとしても、自然に解けるものです。この点が、呪いとの大きな違いになります。
なぜ、離れたところからでも、人に影響を与えられるかなのですが。それを行う際のポイントになっていたのが、相手との『つながり』だと思います。
私の場合は、霊媒師のおっさんが、梵字が書かれたウズラの卵を祈り、その後、そのウズラの生卵を飲まされました。数は、5つくらいだったと思います。覚えているのが、これくらいで、他にも似たようなことがあったような気がします。
氏名や住所も、『つながり』になります。住所については、私は、親戚が旅館を営んでいたため、1ヶ月ほど家を離れ、そこに滞在していたことがあるんですが。家を離れると環境が違うせいか、変なことが起こり難くなりました。
氏名については、名前を変えることで影響を受け難くするということで、実践していました。これは、占い師の先生によるもので、姓はそのまま、名だけ変えます。
これは、例えば、学校などで名前を呼ばれれば、反射的に『はい!』と答えてしまいます。これは、名前との強い結びつきがあるためで、それを意図的に外せば、相手の影響をダイレクトに受けなくなるというものです。
名前を変える際の注意点としては、もともとの名の音を残しつつ、漢字を変え、字画などで運勢なども考慮するというものです。もともとの名の音を残すというのは、例えば、名の1文字だけ変えたりということなのですが、全体の音の響きも重要になります。音が似ているけれども、違うという感じです。
ただ、名を変えただけでは、効果がなく。それを自分の名前であると認識させる必要があります。そのため、毎日、その名前をノートに書きなぐり、頭に刷り込むことになります。
これが、結構、大変です。上手く行ったら行ったで、もとの名前を呼ばれても、考えないと自分が呼ばれていると気づかず、面倒なことになります。
これをやったところ、家にいながら、変なことが起こり難くなり、相手のペースから上手く逃れる切っ掛けになったような気がします。
その後、占い師の先生から、『〇月〇日に、○○大学病院へ行きなさい。そうすれば、入院することになり、病気が良くなる』と言われます。
大学病院というのは、次から次へと入院する患者が待っている状態で、そう簡単に入院できるところではないのですが。言われた通りに、初めて大学病院へ行ったところ、その日のうちに入院が決まり、半年ほど入院。その後、大学病院へ通い続け、病気が治り、今では、薬を飲むこともないです。
最後に、私が感じたことなのですが。霊媒師のおっさんにしても、占い師の先生にしても、勘が鋭く、言い当てられてしまいます。それが、客観的に考えても、誰にでも当てはまる話でもないため、鍛えれば、人間には、そういう能力があるんじゃないかと思わざるを得ません。
相手の心を読むメンタリストとの違いは、こちらへの質問がなく、こちらの知らないことまで言い当てます。なぜ、分かるのか分からないのですが、見えているよりは感じるようです。
ただ、霊的なものがあるかどうかについては、私自身は、そういうものじゃないような気がします。人としての能力であり、それを発揮するための手段として、霊的なものを利用しているように感じました。
梵字が書かれたウズラの卵にしても、氏名や住所にしても、それで相手につながるという意識を持つことが大事なようです。霊媒師のおっさんが、呪物を集めていたのも、それが力になると思い込んでいたからだと思います。
人間には、多かれ少なかれ、そういった能力があるのかもしれません。ただ、それを発揮することが難しく、自分ならできると自分自身に信じ込ませるために、怪しげなものを集めたり、儀式を行ったりするんだと思います。
昔から、『人を呪わば、穴二つ』という言葉があります。これは、呪った人もという意味なのですが。おっさんの顔が半分青ざめたことが、頭をよぎります。勘が鋭くなると、自分にも良からぬものが降りかかるようです。
占い師の先生は、私を気に入っていたらしく、こちらの世界へ進むよう勧めたのですが。怪しげなものでもあり、家族がさんざんな目にもあっているため、『とんでもない!』と母がキッパリと断りました。これは、その占い師の先生と私達の名字が同じなため、親近感があったからだと思います。
そんな占い師の先生は、何年も前に亡くなっています。最後は、悔やまれるようなもので、何の恩返しもできなかったことが心残りです。そんなこともあり、誰かの道が切り開ければと思い、タロットアプリを作ったこともあります。
霊媒師のおっさんは、霊感商法で法の裁きを受けました。世の中には、表に出ていないだけで、似たようなものが多くあると思います。『三十六計逃げるに如(し)かず』という言葉もあり、怪しげな話でやばいと感じたら、逃げることが最善の方法かもしれません。
得体のしれない怪しげなものを感じた際には、落ち込んでいると相手のペースに引きずり込まれるため、豪快に振る舞ったり、好きな物を買うなどして、積極的に自分で気分を盛り上げれば、しりぞける効果があると思います。
家族の中では、この話は過去として片付けられ、無かったことのようになっています。今では、口にすることもできない話です。
ただ、大分前から、どこかに書いておかなければと思っていたので、少し気が楽になりました。
これで、この話は、とりあえず、終わりにしたいのですが。また、何かの切っ掛けで思い出したら、その都度、書き加えようと思います。
この話が誰かのお役に立てれば、幸いです。