髪が伸びる お菊人形

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大正7年8月15日、北海道に住む鈴木永吉さん(当時18歳)が、札幌で開催された大正博覧会を見物し、その帰りに妹の菊子(当時3歳)にお土産として日本人形を買いました。

翌年、菊子は病で亡くなり、遺骨と共に仏壇にその日本人形を供えたところ。髪が伸び始め、オカッパの髪が、いつの間にか肩まで。

昭和13年、北海道の栗沢町万字の萬念寺 (まんねんじ)に、その日本人形を預け、永吉さんは、樺太へ移住。

終戦後、樺太から戻った永吉さんが、お寺を訪ねると、日本人形の髪が、さらに伸びていました。これがよく知られる『お菊人形』の話です。

同時期に、札幌で行われていた博覧会として、開道50年記念博覧会があり、1918年(大正7年) 8月1~9月19日、これを見物するために鈴木永吉さんが訪れたと考えられます。

入場者数は142万人、北海道で行われた初の本格的博覧会、これを機に札幌では市電が走るようになります。
 
日本人形には、胴体のみぞに布を入れ込み作る『木目込人形(きめこみにんぎょう)』、一刀彫の一種で木製の『奈良人形』などがあるのですが、妹の菊子が貰ったのは、『市松人形(いちまつにんぎょう)』です。

市松人形は、着せ替えができ、京人形とも呼ばれています。裁縫の練習台にも利用され、大きさは20cmから大きいものでは80cmを超えます。 

市松人形は、男児と女児に分かれ、男児の場合は筆で頭髪が書かれ、女児については、オカッパ頭で植毛。現在では、スガ糸という絹糸にヨリをかけないものが多いが、戦前は一般的に人毛。菊子の人形も、人毛の可能性が高いです。

気味が悪いと思われるかもしれませんが、現在でもこだわりのある人形師は人毛を使います。人毛といっても、どんな髪でも使えるわけではなく、太すぎず細すぎず、毛にクセがあるものは不向きです。程よいコシ、艶(つや)が求められます。
 
なぜ、毛が伸びるかなのですが、人毛だけに毛の中に栄養素が残り、それがなくなるまでは伸びるという話はあります。ただ、それでも、わずかに伸びる程度で、見て明らかに伸びるということはありません。
 
この話は、毛を切った後、毛が単体の状態であることが前提です。市松人形に植毛する場合、毛を貼り付けるための接着剤として、膠(ニカワ)を使用しています。

ニカワは、動物の皮や骨から作られた接着剤。動物の皮、骨を石灰水につけ、不要なものを取り除き、煮て濃縮させて作られます。不純物が多いものの、主成分はゼラチンです。ゼラチンはコラーゲンに熱を加えて抽出したものです。

古代エジプトの壁画にも、ニカワの製造過程が描かれるほど、太古から使われている接着剤です。

これが髪を伸ばす栄養素となりえるかですが。髪の毛は、皮ふの角質が分化したもの、コラーゲンは髪の毛の成長に関わる真皮を活性化するため、毛を太くしたり、白髪、抜け毛に関係しています。

それなら、もしかすると髪が伸びるんじゃないかと思われそうですが、人形に使われる人毛は、人間からむしり取られた毛ではないだけに毛根がありません。

栄養を行き来するための毛根がない状態で、伸びるかという疑問があります。毛は、毛根よりもさらに頭皮に向かって奥の部分に毛球部というものがあり、ここでケラチンという硬いたんぱく質をつくり、毛母細胞が大きく成長しては分裂を繰り返し押し出すように毛が伸びます。
 
人形に使われたのは、髪の毛の先端部分だけです。そんな人形の髪が伸び続けるというのは、どう考えても、あり得ない話と言えそうです。

現在、萬念寺にあるお菊人形、髪が長いのは確かです。ただ、その髪が、今でも伸び続けているという訳ではないようです。

お菊人形に関する話は、この話とは別のものも多くあり、どれが正しく、どれが間違っているとも言えません。

人形が生きているように髪が伸びるというのは、不思議な話、怪奇現象にはなるのですが。 髪が伸びたことで、誰かが不幸になったという話でもないです。

人形には持ち主の思い、念がのりうつるとよく言われます。それは、亡き人への思いがそうさせるのか、それとも…

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